「若水迎え」とは?若水の由来や使われ方を解説 | 水と健康の情報メディア|トリム・ミズラボ - 日本トリム

「若水迎え」とは?若水の由来や使われ方を解説

古来より伝えられている日本の風習に「若水迎え」というものがあります。この風習は、一昔前まで日本の各所で行われていましたが、現代では知っている人が少なくなり、実際に行われることは珍しくなりました。

しかし、温故知新という言葉があるように、古来より伝わる風習や文化を見直すことで、現代人が忘れてしまった精神性を再発見し、そこから何らかの学びを得られることがあるかもしれません。

今回は、長い歴史を持つ風習「若水迎え」や若水の由来などについて解説をしていきます。

若水とは

若水(わかみず)とは、正月の早朝に井戸などから汲み上げた水のことを指します。一般的な名称は若水ですが、地方によっては別の名前で呼ばれることもあります。

・福水(ふくみず)
・初水(はつみず)
・初井(はつい)
・若井(わかい)
・初穂水(はつほみず)
・節水(せちみず)
・一番水(いちばんみず)
・タカラミン
・ワカミン

若水には「生命を再生させる効果」があると信じられており、その思想は古代の変若水(おちみず:月読命が持っていたとされる若返りの水)信仰に由来しているとも言われています。また、若水は陰陽道とも深く結びついており、そこでは「邪気を払う効果」もあるとされています。

これらの効果は、若水を飲んだり、あるいは若水を使った料理を食べることで得られると信じられています。

若水迎え

若水を井戸や川、泉などから汲むことを「若水迎え」または「若水汲み」などといいます。

水道が普及した現代では、水道水(またはペットボトルの水など)で代用することもあるようですが、今もなお旧慣を守って元の場所から汲み続けている土地もあると言われています[※1]。

一般的に知られている若水迎えのしきたりや流れは、おおよそ次のような形になっています。

①正月の早朝まだ暗いうちに、年男[※2]が新しい桶と柄杓を持って、水場へ向かう。
②その道中、人に会っても会話をしてはいけない。
③水場に着いたら、水神に供物を捧げ、唱えごとを言った後に水を汲み上げる。
④汲み上げた水は家に持ち帰り、飲んだり、料理に使ったり、年神に供えたりする。

※1. 現代では「井戸・川・泉」などの水をそのまま飲むと、体調を崩す危険性があります。
※2. 年男(としおとこ):ワカオトコ・セチオトコ・トシトリオトコ・イエェダロウともいい、古くは武家で新年の諸儀式を行った役を指します。一般には正月行事を執り行う男性を指していて、家長が勤めることが多いですが、長男や最年少の男性が年男となる地域もあります。

平安時代の若水迎え

平安時代の宮中では、若水は立春の日に主水司(もいとりのつかさ)[※1]から天皇へと献上されていました。

献上される若水は、陰陽道の作法に則り、天皇の当年の生気(しょうげ)の方位にある井戸から汲み上げられます。生気というのは「子、丑、寅、卯…」などの十二支を、正月から十二月に割り当て、さらにそれを八卦の方位に対応させて得た吉方(幸運とされる方位)のことを指します。

この生気の方位にある井戸は、あらかじめ封じられていて、若水を汲み上げる立春の早朝にその封が解かれることになります。

汲み上げられた若水は、台盤所(だいばんどころ)[※2]にいる女官が、大きな器(大土器:おおかわらけ)に盛り、それを盆(折敷:おしき)に乗せた上で、天皇の食事(朝餉:あさがれい)に献上されていました。

ちなみに、若水迎えを正月の早朝に行うようになったのは、室町時代から江戸時代にかけてだと言われています。

※1. 宮中の「水(飲料水・氷・粥など)」に関すること全般を管理した役所。
※2. 現在でいうところの「配膳室」のような場所。

しきたりの違い

正月の早朝に若水を汲むという風習は、国内のほぼ全域において行われていましたが、具体的なしきたりについては、地域ごとに違いが見られることもありました。

【若水を汲む日の違い】
元日の早朝に一度だけ汲むことが一般的とされている若水ですが、実は正月の「三が日」のあいだ毎日汲む地方もあり、東北地方においては、七日正月・小正月(十五日頃)・二十日正月、さらに二月の一日・八日あたりまで、十数回にわたって汲む所もあるようです。

【若水を汲みに行く人の違い】
若水を汲みに行く人は、東日本では主に年男と呼ばれる男性の役目とされていますが、九州や四国をはじめ、西日本ではその家の主婦が汲みにいくことが多かったようです(三重県や徳島県では、夫婦で汲みに行く所もあるようです)。

【持ち物の違い】
水場に持っていく物については、新調した桶や柄杓が一般的ですが、青森県ではそれらに加えて、魔除けの刃物を腰に下げていく例もあったと言われています。

【若水を汲む場所の違い】
どこの水場から若水を汲むかについては、その年の恵方にあたる水場から汲んだり、東あるいは巽(たつみ:南東)の方角の水場から汲んだり、面白い事例としては、牛の寝ている方向によって決めることもあるようです(鹿児島の一部)。

【供物や供え方の違い】
水神への供物は、愛知県では枡に鏡餅・米・田作り(ごまめ)などを入れたものを供えますが、青森県では粟餅を切ったものを、昆布や松葉と一緒に井戸の中へ投げ入れるようです。他にも、塩をまいてから汲むところ(福島県・愛知県)、密柑二個を鶴瓶に入れて水神に供えるところ(富山県)、橘を井戸に落としてからそれを汲み上げるところ(奈良市)など、供物や供え方に違いが見られます。

【唱えごとの違い】
水を汲む際の唱えごとは、短めのものを三回ほど繰り返すのが一般的ですが、場所によっては短歌形式の比較的長い唱えごとをするところがあったり、全く無言で汲んだりするところもあるようです。      

~唱えごとの例~
「福くむ徳くむ幸くむ」
「福汲む、徳汲む、幸い汲む、よろずの宝を汲みとった」
「よね汲め松汲め、日本の宝を汲み上げろ」
「新たまの年の初のひしゃく取りよろずの水を我ぞ汲取る」
「福どんぶり、福どんぶり」
「起きよ、起きよ」 など

若潮迎え

若水迎えと似た風習に「若潮迎え(わかしおむかえ)」というものがあります。若潮迎えとは、正月の早朝に年男によって汲み上げられた「海水」を神に供える風習のことで、若水迎えに相当する風習であると考えられています。

若潮迎えを行う神社としては、広島県にある厳島神社などが挙げられます。大晦日の夜、厳島神社で行われる鎮火祭では、御笠浜(みかさはま)でかがり火を焚いた後、その残り火を松明(たいまつ)にして若潮を汲む例があります。  

また、関門海峡の南北にある神社で行われる和布刈(めかり)の神事では、大晦日の深夜に海水の代わりに「海藻」を刈り取り、それを神に供える例もあります。

海から遠い地方では、若潮迎えを行うことが困難なため、海水の代わりに「食塩」を用いて若潮迎えに相当する年頭の清めを行っていたようです。現代の日本でも新年最初の市で塩を買い、縁起を担ごうとする風習がありますが、それはここに由来しているとも言われています。

朝鮮・中国における若水

若水迎えの風習は、日本の周辺国である朝鮮や中国でも見られます。

朝鮮の説話では「正月になると竜が井戸に卵を産むため、その井戸の水には豊穣の効力がある」と伝えられています。この説話をもとに行われる若水迎えを「撈竜卵(ろうりゅうらん)」といい、特に忠清道、黄海道、平安道などの黄海に面する地方が分布の中心となっているようです。

一方、中国では、正月以外の日にも若水を汲む例があり(六月六日や七月七日など)、それぞれに由来や説話があるようです。ある説話では「仙女が水浴のために使用した水は病を治し、長寿を可能にする霊力がある」とも伝えられています。

民族学者である大林太良氏の著書「正月の来た道」によると、中国の漢族における若水迎えの風習は、主に中国南部(広東省・海南省など)に集中して見られ、他にも下記のような地域や部族などで散見されたと報告されています。

・湖南省と江西省の境の万石山一帯に住む漢族
・四川省と陜西省の一部に住む漢族
・雲南省の大部分の地区の漢族
・一部の中国少数民族(苗族・ヤオ族など)

また、大林氏の著書の中では、日本の若水迎えの風習は中国の水稲耕作民文化に由来し、朝鮮半島を経由せずに日本に伝来したのではないかと推考されています。

沖縄・奄美における若水

沖縄・奄美(鹿児島県)地方の正月行事は、本土の正月行事と異なる点が多くありますが、正月の朝に若水を汲みに行くという点においては共通しているようです。また、沖縄・奄美地方における若水神話も、若水を「天の水」として捉えている点において、本土の変若水(おちみず)神話との共通点が見られます。

沖縄・奄美地方では、若水にまつわるいくつかの説話が、口承として伝えられています。

【口承説話①】
ある大晦日の夜、村にみすぼらしい物乞いの人が来て「私に宿を貸して下さい」と言って回った。しかし、どこの家でも泊めてくれず、仕方なく村はずれに行き、そこである夫婦と出会う。物乞いの人は「軒下でよいので貸して下さい」と頼むと、夫婦は「どうぞ家の中にお上がり下さい。そして一緒に正月を祝いましょう」と言った。翌日、物乞いの人が出発する際、夫婦へのお礼に「泉の水を汲み、早朝にそれで顔を洗いなさい」と言った。夫婦はそれに従い顔を洗うと、二人とも青年に若返ったという。

【口承説話②】
昔、ある老人が元日の早朝に若水を汲み、その水を持ち帰ろうとした。その最中、年をとって足元がおぼつかなくなっているせいか、ハブィラ木(サルスベリの木)の根につまずいてしまい、若水をこぼしてしまった。こぼれた若水はハブィラ木の根や、そこにいたヘビやカニにかかり、それ以来、ハブィラ木やヘビ、カニは脱皮をして若返るようになった。その一方で、人間はそれ以来、若返ることはなくなったという。

【口承説話③】
大昔、人間は不死であった。その理由は、神の使者であるチンチン鳥(鳥の正式名称は不明)が、毎年正月になると天から若水を持ってきてくれたからであった。人間はこの水で顔を洗うと若返り、老いることがなかったという。ある年、チンチン鳥が天から若水を持ってくる途中、アハビラ木(サルスベリの木)に休んでいると、カラスがチンチン鳥を食べようと襲ってきた。チンチン鳥はカラスから逃れる際、若水をこぼしてしまい、それ以来人間は若水を得ることができなくなり、死すべき運命となったという。

若水の使われ方

若水の使われ方は、地域の風習によって異なります。主には「年神への供物用」または「家族への食事用」として使われますが、それ以外にも使われることがあるようです。

以下は、その具体例です。

・そのまま年神に供える
・年神に供える茶を沸かすのに使用する
・年神に供える雑煮を作るのに使用する
・そのまま家族で飲む
・家族が飲む茶を沸かすのに使用する
・家族が食べる朝食(雑煮・飯・粥)を作るのに使用する
・家族が口をすすぐのに使用する
・顔を洗うのに使用する
・朝風呂をたてて入浴するのに使用する
・ささらで各部屋を振り清めるのに使用する
・各部屋にかける火伏せ(火除け)として使用する
・年占いをするのに使用する など

さいごに

昔の人々の暮らしはとても過酷なものでした。食糧が乏しく、医療もあまり発展していなかったため、現代ではそれほど脅威ではない病気であっても、それが原因で命を落としてしまうことがよくあったそうです。そういった暮らしを送る中、息災延命を願う若水迎えなどの神事は、昔の人々にとって、とても重要な意味があったと考えられます。

一方、現代人が行う正月行事は、クリスマスやハロウィンなどのような「イベント」として捉えられている感があり、平穏無事(普段通りの健康)に対して強く祈願する人は、今ではほとんどいないのではないでしょうか。

この違いは、両者の健康管理に対する「意識の差」と言い換えることができるかもしれません。たとえば、生活習慣病患者の数が年々増加している傾向にあるのは、現代人の健康に対する意識の低さを物語っているとも言えます。

私たち現代人が昔の人々から学ばなければいけないことは、平穏無事な暮らしに対する感謝の心と、毎日の節制した暮らしぶりなのかもしれませんね。


参考文献

株式会社 千紀園「大福茶に使うお水「若水」とは?」

https://shop.senkien.jp/blog/goodfortunetea_wakamizu

福島県神社庁「神社ものしり事典 お正月」

http://www.fukushima-jinjacho.or.jp/monoshiri/mb/i/pert10/10-4.htm

書籍「年中行事大辞典」加藤友康&長沢利明&山田邦明&高埜利彦 編

書籍「祭・芸能・行事大辞典」小島美子&鈴木正崇&三隅治雄&宮家準&宮田登&和崎春日 監修

書籍「日本「祭礼行事」総覧」新人物往来社 出版

書籍「日本年中行事辞典」鈴木棠三 著

書籍「日本歳時辞典」儀礼文化研究所 出版

書籍「三省堂 年中行事事典[改訂版]」田中宣一&宮田登 編

書籍「全国年中行事辞典」三隅治雄 著

書籍「正月の来た道」大林太良 著

書籍「奄美大島の口承説話」田畑千秋 著